| 圓隆寺「稲荷山」とうかさんの来歴(歴史) | |
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「とうかさん」は元和五年(1619年)浅野長晟(ながあきら)公が紀州より安芸の国主として広島城へ入封の際、現在の地に圓隆寺を建立し、日音師を迎えて開山とした。日音師は若くして出家し、学を関東飯高檀林に学んだ学徳兼備の名僧であり、又祈祷の名師でもあった。 当山に祀る「とうかさん」は「とうか大明神」のことで日音師が勧請(かんじょう)されたものである。御神体は法華経の守護神で稲荷を「いなり」と唱えず、音読みにて「とうか」と呼んでいる。高僧日音上人の功力と霊験ある「とうか大明神」の神力で、城の守りは、いうにおよばず、城下庶民への功徳救施(くどくきゅうせ)は安寧(あんねい)と繁栄をもたらしたといわれている。以来三百九十余年崇敬と親しみのうちに現在に至っている。 古来より行なわれている稲荷大明神の夏祭りは広島三大まつりの一つに数えられ、浴衣の着初めまつりとされている。 昭和二十九年まで旧暦端午の節句に行なわれていたが、新暦では早い年で五月下旬、遅い年で六月下旬と一ヶ月のずれがあり、殆どの行事が新暦で行なわれている現在「とうか」を「十日」にかけ、又、六月十日頃が大体旧暦の端午になるので昭和三十年より新暦六月九・十両日に行なわれるようになった。 又、梅雨時になるので雨の降る日が多く地元商店街並びに露店商の要望により、昭和三十六年より六月八・九・十の三日間行なわれるようになりました。この新暦での固定日程を四十三年間続けて来ましたが、「将来の社会、経済情勢」を勘案した結果、平成十年からは大祭の日程を六月の第一金曜日から始まる土曜、日曜の三日間としています。 元来、端午にこの祭りが行なわれていた由来は、武家がいくさの勝利祈願のため「菖蒲」をいくさの「勝負」にかけ行なったもので、現今でも軒下に魔除けのため菖蒲をあげ、又無病息災のため風呂に入れるのは周知の通りである。 戦前の圓隆寺は現在地に千六百坪の寺領を有した。(寺の西側、中央通りは寺領の一部であった)祭りにはここで盆踊りがあり、昔は元禄花見おどり等のおどりを浴衣がけの参拝の善男善女が自由に入っておどっていたが、現在は広島音頭その他新しい数多くのおどりが、市内、各団体の皆様によって賑やかにおどられている。 尚、日本精神の華として世界に知られている赤穂義士 原 惣右衛門が「とうかさん」を熱烈に信仰しておられた因縁で、御夫婦と御子孫の墓が当山にまつってある。 |
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| 圓隆寺 第十九世 日汪 |